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Life | 「The Sharis 先輩移住者の声 #1」アップ

2022年(令和4年)4月から斜里町民となった初海淳(はつうみ じゅん)さん。斜里町の地域プロジェクト・マネージャーとして働いています。横浜生まれ、横浜育ち、生粋の「ハマっ子」という初海さんが斜里町と出会った縁とは。

斜里町とのご縁

東京の広告会社でコピーライター、クリエイティブ・ディレクターとして30年働いてきました。旅行会社系の広告会社だったので、地域の仕事もかなりやっていたんですよね。最初の仕事が沖縄旅行のパンフレットの制作でしたし、地方自治体のポスターやパンフレットの制作もしていました。

でも、たいていはポスターやパンフレットを作って終わり。また次の地域のお仕事が来たらして、という繰り返しで。企業や商品の広告もあったので、テレビCMを作ったり新聞広告を作ったり、そちらの方が継続するというか、場合によりますけど何年かに渡って担当させてもらって、キャリアを積んできました。

そんな中、2015年に斜里町が知床観光ブランディング強化業務というコンペをするということで、ずっと一緒に仕事をしてきたデザイナーの原耕一さん(株式会社トラウト)に誘われて、それで初めて斜里町に。しかも2022年までお仕事を担当させてもらったことが大きかったです。

移住したきっかけ

知床のブランディングが観光から、商工業・漁業・農業と拡がっていって、「知床トコさん」というブランドシンボルも地元の方にも愛されて。コロナの時には、外から斜里町のために何ができるのかなと、横浜で色々考えて提案もさせてもらいました。

2022年度から斜里町が地域プロジェクト・マネージャーを募集すると聞いて、ここでこの仕事が終わりになるのはとってももったいない、もっとできるんじゃないか、と思って応募しました。住民票をもらったとき、自分が担当した知床トコさん入り住民票だったので、なんだか感慨深かったです。

不安はもちろんありました

出張で何回も斜里にはお邪魔させてもらっていましたし、春夏秋冬いろいろな風景も見てきたつもりでした。でも、実際に住むとなるとまた違うのかなと。さらに仕事場が役場ということで、30年間民間の企業で働いてきたので、なじめるのかなぁ…という心配も正直ありましたね。

実際に暮らしてみると、初めて知ることがたくさんありました。知床トコさんが病院や図書館にもいっぱいあった! 出張で来ると、そういう場所にはなかなか行かないじゃないですか。あと、コンビニとかの駐車場で、みんなエンジン止めずに買い物に行く! 笑

冬の車の運転は…

もともと車の運転免許は持っていたのですが、横浜だとほとんど車に乗る機会もなかったので、斜里に来て再開しました。自動車学校に相談して、ペーパードライバーですが…と。冬は特に不安だったので、冬道講習に参加しました。わざとブレーキを踏んで滑る体験をしたり。でも、まだ怖いですね。

でも、車を運転するようになって、知床の素晴らしい景色を眺めに行ったり、世界が広がりました。この夏は、レンタカーで東川町から富良野をまわって、知り合いのいる上士幌町にも行きました。北海道の雄大な景色はやっぱり素晴らしいですね。

ご飯はめちゃくちゃ美味しい

予想はしていましたが、食事はほんとうに「うまい」ですね。びっくりするくらい。アスパラとか、明らかに横浜とは違う。あたりまえか…笑。鮭のまちなので、スーパーで買った鮭や鱒の切り身を家で焼くだけで、声が出るくらいうまい! カレイの種類も豊富で、刺身で食べるのも嬉しい驚きでした。

仕事場と生活する場がとても近いので、お昼ご飯は家に帰って食べたりできます。横浜だとランチはほとんど外だったので、こういう豊かさもあるんだなと。自分のペースで、ゆったり暮らすことの価値を感じています。

ライフとワークがとっても近い

パソコンさえあればどこでもできる仕事なので、東京の会社にいたときもオフィスにはそんなにいなくて、カフェで仕事をしたり、コワーキングスペースで仕事をしたりしてました。斜里でも東京の人とも仕事をしますし、台湾とかニューヨークの人とオンラインで打ち合わせもしてます。

斜里は田舎だという方もいますけど、ほんとうに田舎なのかな?都会的なものがない、という意味なんだろうけれど、通販でものも買えるし、車で一時間も走れば都市があって、おなじみのブランドも手に入るし。WiFiとスマホがあれば、世界中どこでも似ている気もします。あ、映画館がないか。

これからのこと

個人事業主でもあるのですが屋号が「なみうちぎわをあるこう」なんです。

波打ち際を歩こう
クツは濡れてしまうかも
しれないけれど
海から波に乗ってきたもの
陸から惹かれてやってきた人
いろいろな出会いが
きっとあるから

というポエム?を名刺に入れています。異なるところをフラフラと行ったり来たりして、人と人や人と場所をつないでいけたらと思っています。役場で早朝サッカー部というのがあって、誘ってもらったら部署が違う人とも仲良くなれて、スポーツってすごいなと改めて感じました。


初海 淳(はつうみ じゅん)
1967年、神奈川県横浜市生まれ。
浅野高等学校から一浪ののち、早稲田大学政治経済学部へ。
一留ののち、都内の広告会社へ。
制作進行からコピーライター、クリエイティブ・ディレクターを務める。
代表的な仕事は「感動のそばに、いつも。JTB」。
趣味はサッカー(観るのとやるのと)と音楽(聴くのみ)。
毎朝、コーヒー豆をひいて一杯を淹れる。

Updated / 2023.09.15