
図書館に足を踏み入れると、そこには静けさではなく楽しそうに話す人の声があった。
ここは北海道、知床で知られる斜里町。
自然光が差し込む広々とした開放的な館内で、学生たちが机を囲んで話をしている。その目線の先では女性が折り紙を折っていて、放課後に子どもたちを迎える準備をしているという。
「図書館は、もっと人と人が言葉を交わせる場所であっていい。」
そう話すのは館長の松井卓哉さん。図書館を通して世代を超えたつながりの場をつくり続けている。
松井館長のプロフィール


「図書館は、話してもいいと思うんです。」
松井さんの穏やかな声と、軽快なテンポに心地よく聞き入っていた私は、はっとして「図書館は静かにしないといけない場所」だったと思い出す。
「図書館はもっとコミュニティの場であっていいなと思っていて。」
館内はそんな想いを体現するための工夫やアイディアに溢れている。
「館内でBGMを流していますが、音のボリュームには工夫をしていて。入口付近ではしっかり音を響かせていますが、奥に進むほど音量を絞って、静かに過ごしたい人にも配慮しています。」
入口側は飲食スペースや会議室、親子で読み聞かせができる交流の場。
奥に進むと学習室や、それぞれの過ごし方ができるよう椅子やソファが設置され、落ち着いた空間に。
「最初にこの図書館を訪れたとき、あまりの静けさに、思わず「しゃべってもいいんですか?」と聞いてしまったんです。自分でも「ああ、これはちょっと入りにくい場所かもしれないな」と感じたのを、今でも覚えています。」
BGMを流せば、音が空間にほどよく広がって、話しやすい雰囲気が生まれる。一方で静けさを大切にする人もいる。
奥行きのある広い館内をうまく使って、静けさと、活気のあるコミュニケーションの場を共存させていた。

「街中にたくさんの娯楽や選択肢があれば、人は図書館にそれほど多くを望まないのかもしれません。でも斜里町には、大きな商業施設も多くの居場所もない。だからこそ、図書館は『本だけの場所』ではなく『人が集まり、話し、安心できる場』であっていいと思うんです。」
図書館をどういう意義のある場所として持っていくか──。ずっと考えてきたという。
「思いついたらとりあえずやってみる。」
松井さんと話していくなかで、何度も出てきたのがこの言葉だった。
「やってみてだめならやめればいいし。やめたことが失敗かどうかもまた別の話だと思っていて。」
今年3月に書籍化された「YAコミュ板」の取組みもそのひとつだ。
「YAコミュ板」とは、中高生と図書館司書がやりとりを交わす匿名の掲示板だ。
投函箱が設置してあり、中高生限定で質問や悩みを投函できる。
家族や友達に話しづらい内容でも、顔も名前もわからない図書館の大人になら話せるのではないか、そんな思いで始まった。


子どもたちから寄せられた恋愛、勉強、人間関係の悩みから、思いつきで書いたようなワードやぼやきまで、図書館で働く大人が、ときには真剣に、ときにはクスっと笑えるような言葉や絵で応える。
「掲示板を取り入れたいという思いはあったが、斜里町の中高生の数は年々減っていて「取り入れたところでうまくいかないのでは」と心のどこかで思っていました。」
それでもやってみようと始まった「YAコミュ板」。2023年7月のスタートから現在までに、なんと650件(2025.5.13現在)ものやり取りが交わされる場へと成長し、書籍化も実現した。
「話題になっているという実感がないんです。きっといつまでも実感はわかないと思う。」
本屋で見つけたときに思わず「本当に売っている!」と、心のなかで叫んだ。
その後、買う人がいるのか気になって本屋に1時間滞在した、という話は思わず想像して笑ってしまった。
次々とアイディアが湧いてくるという松井さん。
最近になってその源が「自分が中高生の頃に出会いたかったこと」だと気づいたという。

「子どもの頃、書くことが好きだったんですよ。好きな作家さんの作品を自分で書き写してみたこともあります。けど、作家になりたかったかと聞かれたら…わからないですね。」
高校生の頃に出会い夢中になったという本を教えてくれた。
「 鷺沢 萠さんの『海の鳥・空の魚』。絵葉書のように風景が浮かぶ文章がすごく好きで。」
語る目は少年のようにきらきらとしていて、その本との出会いは松井さんの感性を彩った一部になっていると感じた。
松井さんは出身地である小清水町で18歳まで過ごした。
「非常に小さい町で、私の同級生も100人いないぐらい。」
図書館に異動になるとわかったとき、最初は戸惑った。
「行政の仕事って、基本的には『困っている人をサポートする』というケアの視点が前提なんです。私もそれが当たり前として染み付いていて。でも、図書館はまったく違う。誰に対して、どんなふうにアプローチすればいいのか、最初はまったく見えなかったんです。」
図書館の隣は中学校だ。
放課後、学生たちが図書館の前を素通りしていく姿を何度も見て、このまま大人になる子どもたちのことを思った。
「今の時代、自分で欲しい情報だけを選んで見たり聞いたりすることができる。けどそれって本当に良いことなのか。」
インターネットでは欲しい情報をすぐに手に入れられ、SNSでは似た価値観の人と簡単に繋がることができるようになった。その一方で、異なる意見や価値観に触れる機会が少なくなっている。
「図書館はいろんな本があって、それぞれに異なる考え方や価値観が詰まった知識の集合体。触れていくと、もっと豊かな人生になるかもしれない。」
松井さん自身がそうだったように、偶然手に取った本が人生を彩るきっかけになる。
「この状況をなんとか変えたい。」そんな思いから、中高生の来館を積極的に後押しする取り組みに本気で向き合うことにした。

取り組みを続けるなかで、中高生の来館数が少しづつ増えていった。
「なかには騒ぐ子どもたちもいます。その都度注意はしますが、ただ叱ってその場を終わらせるとか、飲食スペースの利用を禁止することもできるけど、それはなるべくしたくないんです。その子たちが行き場がなくなるだけの話であって、根本的な解決にはならないので。あと、飲食スペースにデシベル計を設置してみました。「話しても良いけど騒いじゃダメ」を認識するのって、難しいじゃないですか。であれば、声の大きさを可視化できると良いんじゃないかと思って。」
「なぜ騒いではいけないのか」自分は楽しいかもしれないが、他の人はどう考えるだろうという想像力を持つこと。自分以外の人の考えや価値観を尊重する力を培うことで、視野が広がり、物事に対する感受性が豊かになる。
「気づきを子どもたちが持てるにはどうしたら良いんだろうといつも考えています。」
2024年から始まった「図書館みらいキャンパス」も「気づき」がテーマだ。
「『今ある世界がすべてじゃない』というテーマでやっていて。」
地域おこし協力隊をメンターとして、みらいキャンパス放課後の活動室という場所を作って子どもたちに勉強を教えたり話をしたり、交流の場を作っている。
「子どもが質問をして、大人は答える。その関係が縦だとすると、メンターとの関係性は斜め。メンターが気づきを与えて、子どもと一緒に答えを考えていく。最終的には答えを出すのが子どもであることが、理想的な形ですね。」
メンターには子どもと接するときに「中学生のときの自分に話す機会があったとしたら、なんて問いかける?」を大切にしてほしいと伝えているそうだ。
松井さんが、ちょうど隣の席にいたメンターの女性に「なんて声をかける?」と問うと、恥ずかしそうに微笑んだ。
私はあの頃の自分になんて声をかけるだろうか。思い出すと、恥ずかしくなることばかりだ。
「あのときの自分を思い出すと、もっとこうすればよかったって誰もががそう思うはず。」
「20歳のとき、こんな感じで大人になっちゃうんだって絶望したんです。それを30代になったときも思ったし、40代のときにも思ったんですけど、もうすぐ50代ですけどやっぱり思いますね。」まるでその頃の自分に語りかけるように笑う。
「大人だって失敗するし、悩むし、迷うし、考えるし。大人になったら全部ができるようになるなんてことは全然ないっていうのを、子どものときに、大人との関わりの中で知るといいと思うんですよね。」
小さい町で、小学校から中学校まで変わらない人間関係のなかで育つ子どもたち。
狭い世界のなかで「私はこういう人間なんだ」と決めつけ、可能性に蓋をしてしまうことがある。松井さん自身がそうだった。
「誰か外の人と話す機会があったら、もっと人生変わったんじゃないかなって今になって思うんです。」
みらいキャンパスを通して「いろいろな考え」に触れることで「新しい自分を知る」きっかけや、「いろいろな可能性」があることを子どもたちに実感してほしい。

5年、10年後、この図書館が町の人にとってどんな存在でありたいかを聞いた。
松井さんは迷わず「本を読まなくても立ち寄りたくなる、そんな場所にしたい。」そう答えた。
「今日休みだしどこかに出かけようかなって思ったときに、たいていは網走に買い物行くとか、北見で映画見に行くとか、そんな選択肢が思い浮かびますよね。そこに図書館という選択肢は出ない気がしていて。だからこそ、図書館行くかってなるような場所をつくっていきたい。本を読みたいからという目的じゃなくていい。何かやっているから寄ってみようか、とかそんな場所になるといいですよね。図書館って本を読まないと行っちゃダメな場所じゃないんですよ。」
町の子どもたちにも思いを馳せる。
「あのとき、ああいう場があったなってふと思い出だすような瞬間をつくれたらいい。」
「ここで経験したことや答えが、今の自分には刺さらなかったとしても、いつか生活のなかでこんな話してもらったなあ、とか思い出して自分の心の豊かさにつながるきっかけになったら嬉しい。」
様々な取り組みを行うなかで「大人と子どもが話している場面を見るのが一番好き」だという。
「大人っておもしろいなと思ってもらいたい。」
こんな大人がいるってうらやましい。あの頃の私がそう言ったのが聞こえた気がした。
斜里町立図書館公式サイト
取材・執筆: 森やみどり
企画: 初海淳 (なみうちぎわをあるこう)
Updated / 2025.11.14